初々しい“PTの卵”さん。♪

台風の影響もあって、ここ数日は札幌も不安定な天候が続いていますが、きのうは小雨がパラつくなか、隔週末恒例の股関節の持病(臼蓋形成不全)のリハビリ通院へ出掛けました。名前を呼ばれてリハビリ室へ入ると、担当の理学療法士O先生は、いつものように快く舞姫を迎えてくれました。

「きょうは、“彼”が一緒ですが、よろしいですか?」…と、O先生。ふと気づくと、O先生の傍には見慣れぬ青年の姿。パッと見、ここの常勤の理学療法士の先生達と同じようなデザインの“ケーシー型白衣”を着ていますが、よくよく見ると胸のあたりには学校のロゴが。彼は、実習中の学生さん。“PTの卵”です。♪

「なんでも好きなことを尋ねていいョ。彼女は本職の医療者並みに詳しいから、勉強になる」…と、その学生さんに舞姫を紹介するO先生。なんだか恥ずかしいっスね(汗)。おとなしそうで口数少ない彼は、どんなことから質問を始めたらいいのか判らない様子だったので、「まずは、疾患名と概要から彼に説明してあげて。専門用語とか入り混じっても構わないから、○○(←舞姫の苗字)さんの好きなように話しても大丈夫だョ」…と、O先生が助け舟。

この疾患のことを何も知らない友人知人に説明するときは、イロハのイから噛み砕いて説明しなきゃならないので、どうしたら判りやすく伝えることができるだろうと思って舞姫も毎度苦心するのですが(汗)、この日はお相手がなにせ実習中の学生さんだったので、そこいらへんは舞姫も楽をさせて頂きました。♪

ざっと疾患名と概要の説明を終えると、こんどは「手術の話をしてあげて」…と、O先生。へ?あっ…あの、舞姫は保存療法専門で手術に関しては詳しい知識がないんですが…?「けど、ある程度なら知ってるしょ?いろいろ彼に教えてあげて」…まぁ、O先生の御所望であれば仕方がない。

おおまかに分けて人工股関節置換術&自骨手術&股関節鏡視下手術の3種類の術式に分類されること、自骨については日本ではRAO(寛骨臼回転骨切り術)が主流だけど、ほかにも棚形成術キアリ骨盤骨切り術など、さまざまな術式が存在すること、そして適応の術式は、患者それぞれの症状や身体能力、医師の解釈などによっても異なることなど、拙いながらも舞姫の知る範囲でざっと簡単に説明。

なんでったって未手術の舞姫が、実習中の学生さんにこんな説明を…とも思ったのですが、しきりに「凄いですね〜」と感心する彼の活き活きとした表情を見ていると、まんざら舞姫も悪い気はしませんでしたね。O先生も確信犯だ(笑)。

余談ですが、RAOのことを“ラオ”と呼んだり、変形性股関節症のことを変股症(ヘンコショウ)と略したりするのは、あくまで患者さん達の間で広まった“隠語”であって、医療者さん達の間ではあまり使われないらしい…なんて話題も出ました。

そのほか、学生さんから尋ねられたのは、「どのようなお仕事をされていますか?スポーツは?普段は、どのようなコンディショニングをされていますか?」…などなど、さまざま。会話を交わすうちに、なぜか話題が徐々にコアな方向へと進んでいき、学生さんも目が点に。(・o・)

いちばん困ったのは、「ジャズダンスって…?」と尋ねられたとき。“ジャズダンス”を知らない人に説明するのって、意外と難しいです。一昔前だったら、武富士のCMを引き合いに出せば「ああ、なるほど!」と概ね理解を頂けたものなのですが、さすがに今時のお若い学生さんにはピンとこないでしょう。

さて、困ったゾ…と思った舞姫でしたが、「クラシックバレエが基本なんだよね?」…と、ふたたびO先生が助け舟。そうそう、ベースとなっているのは確かにクラシックバレエだけど、バレエにはないジャズ特有の技法なんかも勿論あるし、ジャズダンス“複合競技”なので、そのほかにもヒップホップやコンテンポラリーなど、いろんなジャンルのダンスの技法や表現を取り入れますよ〜…なんて説明したところ、彼も理解してくれた様子でした。ちなみに「運動量は?」と聞かれたので、「たぶん競技スポーツ並み!」と答えておきました。

問診&触診を終えると、筋トレ&ストレッチを経て、歩行訓練にもお付き合い頂き、この日のリハビリはお開きに。熱心な“PTの卵”さんと一緒に、舞姫も楽しい時間を過ごしました。

舞姫も口下手なので、うまく伝えることができているかどうか自信がなかったですが(汗)、不器用で要領を得ない舞姫の説明にも興味津々に耳を傾け、コアな話題にも懸命についてきてくれて、丁寧にメモを取る学生さんの姿には、素直に好感を抱きました。初々しくて、いいですね〜。これからも一生懸命勉強に励んで、将来は優秀な理学療法士さんになれることを、願うばかりです。(-人-)

そんなわけで、かつて舞姫も「ジャズダンスって…?」と尋ねられたときに度々引き合いに出した懐かしい武富士のCMを、YouTubeで探してみました。久し振りに観ましたが、やっぱりカッコいいですね!

7年間の時を経て、姿を消したチームメイト達。

持病の股関節疾患(臼蓋形成不全)が発覚して7年経つ舞姫ですが、最近はたと思い立って、発覚元年だった2008年某公演&発表会“公演パンフ”を書棚から穿り出して、改めて目を通してみました。チェックしたのは、当時の某公演にて初演、同年の発表会で再演された、“花”をテーマにした本編作。

この7年間でスタジオ内でも随分と人の移り変わりがあったことだけは確かなのですが、舞姫自身も詳しいところまではよく判っていなかったので、はたして実際にはどの程度の変動があったのか、ちょっと気になって調べてみた次第でした。ちなみに当時、舞姫は43歳。公演パンフに掲載される集合写真に写る自分の姿は、やっぱり現在よりも少しだけ若い(笑)。懐かしいです。(^^;)

とりあえず、ジュニア出演者の名前一覧から順を追って確認していくことに。当時、舞姫と一緒に舞台に立ったジュニアクラス所属の小中学生ダンサー達のなかで、のちに成長して大人になってレギュラー入りを果たしたのは12名。このうち、現在に至るまでレギュラークラスに在籍し今年の某公演にも出演者として名を連ねるチームメイトは…僅か3名でした。もっといるもんだと思っていましたが、意外と少ないですね。(・o・)

ぢゃあ、レギュラークラスは?…と思って確認してみると、こっちも凄かった(汗)。08年の当時、某公演&発表会にて上演の本編作に出演したレギュラー在籍者は、舞姫も含めて16名でしたが、この7年間で少しずつ減っていき、当時からのレギュラー在籍者で現在もレギュラーに残って舞台に立ち続けているのは…先生4名に舞姫を加えた僅か5名でした。

先述の当時ジュニアに在籍していた出演者も含めると、発覚元年に舞姫と一緒に舞台に立った共演者のうち、9名+11名=ゆうに20名のチームメイト達が、この7年間でレギュラークラスから姿を消してしまったことになります。ざっと舞姫が調べて単純計算してみただけなので、正確な数値ではないかもしれないですが…(当時のジュニア出演者については、なにせ人数が多かったのと、なにせ7年前のことで舞姫自身の記憶も定かでないのもあって、さすがに全員の顔と名前までは一致しません…汗)。

ちょっと複雑な気持ちですね。発覚元年だった当時、耳慣れない疾患名を告げられて不安を募らせた舞姫の“心の支え”となってくれたのは、紛れもなく、その年の舞台のあの作品で共演したジュニアクラスの子供達&レギュラークラスのチームメイト達でした。

たとえ、運動厳禁でダンスやスポーツなどと以ての外と言われても、悪化すれば人工股関節と言われても、身障者手帳の取得が可能と言われても、どうしても諦めることができず、この7年間、真剣勝負でリハビリに挑みながら舞台に立ち続けてきた。そして、その舞姫を支え続けてくれたのは、煌めく魅力に溢れるジュニアクラスの子供達&信頼するレギュラークラスのチームメイト達な筈でした。ただ…7年間の時を経た現在、その多くは既にスタジオにはいません。

幼い頃から踊り続けるジュニア世代の若いダンサー達の多くは、進学就職・転職・結婚などで、ある種の“節目”を迎え、“ダンス”を続けるか否かの選択を余儀なくされます。いや、ジュニア出身者だけでなく、大人になってからこの世界に入った社会人ダンサーも、さまざまな事情による生活環境の変化などに伴い、やはり同様の選択を迫られる場合も勿論あります。

この7年間で、レギュラーから離れスタジオから遠ざかっていったチームメイト達。その後、他のスタジオへ移ったり、ジャズ以外のジャンルのダンスやYOSAKOIソーランなどで活躍するなど、スタジオを離れて以降も何らかの形でダンスと関わりを持ち続けていると聞くチームメイトも若干いますが、残念ながらダンスから完全に足を洗ってしまったり、あるいは現在どこで何をしているのか消息すら不明なチームメイト達も、決して少なくはありません。

ダンスが好きで、諦めることができず、この疾患と向き合いながら夢中で駆け抜けてきた7年間。けど、改善へのモチベーションとなって舞姫を支えてくれた筈のチームメイト達の多くは、舞姫の傍から姿を消してしまった。致し方ない事情もあったことと察しますが…やはり時の流れというのは哀しいですね。

舞姫は、この年齢で、ましてこの股関節なので、残念ながらもうそれほど長くは舞台に立てないと思います。だから、おそらく残り少ないであろうレギュラークラスに居られる時間を、元気なジュニアクラスの子供達&信頼するレギュラークラスのチームメイト達と一緒に、大切に大切に過ごしていきたいと思います。そして、いま舞姫と共に稽古を続ける某公演出演メンバー達が、これからもずっとダンスが好きで、末永く踊り続けることができるよう、心から願うばかりです。(-人-)



触れない美学。

それは舞姫が、まだ小学校低学年くらいの頃のあるの日のこと。授業中はかなり強く降っていた雨も下校時には無事にあがって、雲の隙間から陽も射してきました。クラスメイト達数名と一緒に学校を出て、途中で友達とも別れ、ひとりになった舞姫がふと空を見上げると、ひときわ大きく浮かび上がる美しい“虹”が視界に映りました。

それは、手を差し伸べれば届きそうなくらい、近くにあるように舞姫には感じられました。「もしかすると、あの虹に触れることができるかもしれない!」そんなふうに思った舞姫は、その大きな虹のある方角に向かって歩き始めました。このまま、あの虹に向かって進んでいけば、本当にあの虹の架け橋の袂まで辿り着けるような気がしたのです。

ところが、歩けども歩けども、そのと舞姫との間の距離は一向に縮まりません。そのうち周囲の風景も、見慣れた近所の街並みからは次第に離れ、見たことのない建物の立ち並ぶエリアへと入っていきました。ふと気付くと既に夕暮れも近く、さっきまであんなに鮮やかだった虹も、次第に薄らいできていました。

いかん、これ以上自分のテリトリーから離れて遠くへ行くと、家へ帰れなくなってしまう…そう思い、だんだん身の危険を感じてきた舞姫は「お母さんが心配する。はやく家へ帰ろう」と、後ろ髪を引かれるような気持ちで虹に背を向け、家へ向かって駆け出しました。

帰宅した舞姫は「ただいま」も、そこそこに、玄関で乱暴に靴を脱ぎ捨てると、急いで部屋の窓を開け「お母さん、虹が見えるよ!すごいきれいだよ!」…ところが、舞姫の声で母が窓のそばまで来たときには、空には既に虹の姿はなく…。

まぁ、虹ですから日没と共に消えてしまって当たり前のことなのですが、当時の舞姫にしてみれば、本来なら触れてはいけないものだった筈のものに、禁を犯して自分が触れようとしてしまったが故に、消えてなくなってしまったような気がしてならず、あの美しい虹に触れてみたいと思ったばっかりに、虹の袂まで辿り着こうとした自分の行為を、幼心に少々後悔した次第ではありました。

たとえば、美術館に行ったとしましょう。そこに、花器でも食器でも何でもいいのですが、とても美しく魅力的な展示物が飾られていたとしましょう。ぜひ、もっと近くで見てみたい。そして、この手で触れてみたい…そう思って当たり前ですよね。ただ、美しく魅力的な展示物の前には、たいてい「ぜったいに、お手を触れないでください!」なんて注意書きが掲げてあったりします。

けど、そういう注意書きを読んでしまうと、よけい「どうしても触れてみたい!」という衝動に駆られてしまうものです。そして意を決するように、ついに禁を犯して、その美しい展示物に触れようと、この手を差し伸べた瞬間…その美しい器に亀裂が走り、弾けるように儚くも砕け散ってしまったとしたら…。後に残ったのは、床に散らばる、その器の無残な破片だけ…。

どんなに美しく魅力的な器も、いちど壊れて砕け散ってしまったら、所詮ただのゴミですよ。価値なんて、ありません。自分にとって、類い稀に美しく魅力的なものは、この手で触れてみたいだなんて望みを抱いたりはせず、ある程度距離を置いて眺めることで、その魅力を満喫するのが、いちばん良い方法なのかもしれません。幼い頃見た“虹”も、そして美術館の展示物の例えも…“触れない美学”も、存在するのです。



GW恒例の小樽散策へ。♪

あっちゅー間にGW最終日を迎えましたが、みなさん如何お過ごしでしょうか?おととい4日(みどりの日)、舞姫は母と一緒に小樽まで遊びに出掛けました。

一昨年&昨年に引き続き3年連続となって、半ばGWの恒例行事と化しつつある舞姫母娘の小樽散策ですが、今年もおおいに楽しんで参りました。道中の模様は、その日の夜のうちに諸々の写真と一緒に“Twitter”にも掲載済みだったので、既にご覧くださったフォロワーさん達も多いかとは思いますが、一応この日記にも報告をあげておこうと思います。♪

まずJRに乗って小樽駅まで辿り着くと、バスに乗り換えて旧青山別邸「小樽貴賓館」へと向かいました。ここは、別名“にしん御殿”(←Wikipediaより)といって、かつて北海道でニシン漁が盛んだった時代に建設された住居兼用の漁業施設。

ニシン漁で巨万の富を築いた青山家が、お金を湯水の如く使って建てた贅沢な豪邸ですが、現在では登録有形文化財に指定されています。あいにく内部の殆どは撮影禁止で、1Fホールの天井画と、あとは庭に設置される「石狩挽歌」の碑くらいしか撮影できなかったのですが(汗)、貴重な展示物の数々を母娘で興味深く鑑賞させて頂きました。♪

この小樽貴賓館ですが、唯一の難点はちょっと交通の便が悪いことでして、日祝日に至っては最寄りの停留所には1時間に1本程度しかバスが来なくて、ひとしきり館内を巡り終えた時点で中途半端に時間を持て余してしまいました。ただ、施設の周辺は閑静な住宅街で、近隣にも特に観光スポットらしきものはなく、致し方なく施設1Fのレストランで茶などすすりながら時間をつぶすことに。

ようやくバスに乗って再び小樽駅界隈まで戻ってきた舞姫母娘でしたが、程なくポツポツとが降り始めました。ぢつは、事前にチェックした予報で天候が悪くなるらしきことは知っていたのですが、自宅を出掛ける時点では至って天気は良かったので、天候が崩れないことを祈って雨具を持たずに出掛けた次第でした。さて、困ったゾ…。(´・ω・`)

とりあえず、舞姫はパーカーのフードを被り、母は大きめのハンカチを三角に折って頭を覆って“キャディさん”スタイルになって、雨をしのぐことに。近場のコンビニでビニ傘でも買おうかとも思ったのですが、ビニ傘が嫌いな母は気が進まない模様。

せっかく買うなら、もう少し小洒落た傘を…と思って、たまたま通りがかりの某雑貨店を訪ねて、店員さんに傘はないかと尋ねたところ、有り難いことに を貸してくださいました。店員さん曰く、これは小樽観光協会が実施する“傘の輪プロジェクト”で、突然の雨や雪が降られて困っている観光客に無料で傘を貸出すという取り組み。使い終わったら、市内16ヶ所に点在する協会指定の返却場所に持参すればOKとのこと。なんとも粋な心遣いですね。♪

その後は、遠慮なくお借りした傘をさして堺町通り商店街をブラブラと散策し、三角市場内の某食堂にて美味しい海鮮丼を頂き、楽しい時間を過ごした舞姫母娘でしたが、最後に小樽駅構内にある観光協会指定の返却場所に傘をお返しして、帰宅の途に。

一夜明けて、きのうは自宅から徒歩圏内の日帰り温泉施設へと出掛け(ちなみに、母は公衆浴場の類が苦手だそうなので、舞姫ひとりでふらりと出掛けました)、小樽散策で散々歩き廻って疲れた身体を癒し、帰宅後は小樽土産に買った地酒を開けて母娘で晩酌。更に一夜明けて、GW最終日のきょうは特に外出の予定もなく、自宅でのんべんだらりと過ごしております。♪

GWも終わって、あしたからは普段の日常が戻ってきます。ちょっと憂鬱ではありますが(汗)、あした&あさってを無事に過ごせば週末を迎えるので、がんばって乗り切りたいと思います。そんなわけで、写真は小樽散策で立ち寄った昆布専門店「利尻屋みのや大正クーブ館」に掲げられていた“お父さん預ります”の看板。(^^)



新しい挑戦は、“視覚にアピールする柔軟性”。♪

早いもので今年の夏には、持病の股関節疾患(臼蓋形成不全)でリハビリ通院を始めて7周年を迎える舞姫ですが、自宅でのリハビリもすっかり習慣と化しました。理学療法士O先生からも、ちょっとした時間&場所さえあれば手軽にできるリハビリをたくさん指導して頂き、横着者で“大儀”を描いた如くの舞姫でも、この7年間に渡って無理なく自宅リハビリを続けることができるに至っています。

普段は、翌日も朝から仕事なのでそれほど夜更かしできないというのが頭にあるので、帰宅後のリハビリも手短に済ませてしまうことも多いのですが(汗)、お休みの前夜だけは少しだけ夜更かしをして、居間で心置きなくリハビリに努めます。就寝時間を気にすることなくリハビリに没頭できるのは物凄い快感でして、いまやこれが舞姫の貴重な楽しみだったりもします。♪

この疾患が発覚する以前までは尋常でないほど身体が硬かった舞姫も、O先生の指導を仰いでコツコツ地道に続けてきたリハビリの効果もあり、ここ近年で飛躍的に柔軟性が向上しましたが、今月からスタジオのレギュラークラスでも稽古が始まった毎年恒例の某公演にて、この柔軟性を振付担当のK先生から見込まれて、片脚を手で掴んで高く持ち上げる振付を頂きました。

通常、舞台作品においてこの類の“柔軟性を活かす”振付は、優れた柔軟性に恵まれる人材に巡ってきて当然なわけで、少なくとも“尋常でないほど身体が硬い”舞姫には、これまでまったくと言っていいほど“無縁”だった筈の「観客に“柔軟性”を見せる」ための振付でした。

記憶を辿ること1年ちょっと前、スタジオは取り立てて大きなイベントを抱えない“シーズン・オフ”中で、レギュラークラスでも舞姫&チームメイト達は穏やかな時間を過ごしていました。ある日のバー・レッスンにてグラン・バットマンの最中に、「○○(←舞姫の苗字)!お前はいつからそんなに身体が柔らかくなったんだ?!」…突如として聞こえてきたスタジオ代表者T先生の声を、舞姫は未だ忘れられません。

そのとき以降、スタジオで柔軟性を要する技法を練習するたびに、高々と上がる舞姫の脚をしげしげと興味津々に見つめるT先生の姿がありました。T先生が驚くのも、無理もありません。これまで20年以上もの長きに渡って、“先生”として舞姫を指導し続け、また“演出家”として舞姫を舞台で使い続けてきたT先生は、舞姫の有り得ないほど硬い身体を熟知しています。

大人になってから始めた“晩学ダンサー”だったこと、学生時代は生粋の“運動オンチ”だったこと、そして既に50代に手が届く“高齢ダンサー”であること…諸々の悪条件から考えても、この尋常でないほど柔軟性に欠ける身体を舞姫自身が克服できるなどと、さしものT先生にも予測不可だったことでしょう。舞姫もT先生から「柔らかくなったね♪」と言われるのが嬉しくて、殊に柔軟性を鍛えるリハビリには、このとき以降より一層熱心に取り組むようになったことを記憶しています。

そんな経緯もあって、いつの頃からかT先生以外の先生達やチームメイト達も、舞姫の柔軟性に着目してくれるようになっていったわけですが、ぢつは舞姫がO先生の指導を仰いで続けてきたのは、あくまで疲労疼痛を軽減する目的だったり、故障体調不良を起こしにくい丈夫な身体を作ることを目的とする柔軟性強化の訓練であって、これまで自分にとって“無縁”だった“視覚にアピールできる”ような柔軟性を身に付けることに関しては、舞姫的にはそれほど重きのウエイトを置いてリハビリ続けてきたわけでもなかったんですね。

ただ、そうやって地道に続けてきたリハビリが、結果として“舞台人”に必要な“視覚にアピールできる”ような柔軟性を要する技術の向上に結び付いたのかなという気はします。

リハビリ通院を始めて以降、現在に至るまでO先生から言われ続けているのが、とにかく“無理はしない”こと。未だ勘違いしている人達も多いんですが、“リハビリ”って決して“過酷な特訓”ではないんですね。患者さんの症状や身体能力、その日そのときの体調なども考慮して、まずは無理なくできる範囲から始めて、地道に続けながら草の根レベルで少しずつステップアップしていくのがリハビリなわけですよ。

特にストレッチ等の柔軟性を鍛える訓練において“近道”は存在しないわけで、自分の症状や身体能力に適さない高度なストレッチに無理して励んだところで、筋肉や関節を傷めてしまったり、あるいは本来の目的ではない変なところが変なふうに鍛えられてしまったりなどで、却って逆効果。

思い起こせば、リハビリ通院を始めて間もない当時、「きょうから○○(←舞姫の苗字)さんのリンバリングは、これだよ♪」とO先生が指示したのは、スタジオにある子供用の低いバーよりも更に低い、整形外科の待合室の椅子でした。

そのとき以降、脚を椅子に乗せて無理なくできるチェア・ストレッチから始めて、地道な訓練で少しずつ柔軟性を鍛えてきた舞姫でしたが、おかげさまで現在ではリンバリングで片脚を掴んで持ち上げると、顔の至近にまで脚が上がるようになりました。

本来「守り勝つ」ために努めて取り組んできた柔軟性強化が、視覚にアピールする“武器”として日の目を見る形となりましたが、身体の硬かった舞姫にとって“憧れ”だった「観客に“柔軟性”を見せる」ための振付を頂く機会に恵まれたのは、本当に嬉しく思います。♪

今回の舞姫に限った話ではないですが、舞台の稽古に追われる時期に入ると、我々チームメイトもスタジオの先生達から“新しい挑戦”の機会をたくさん与えられます。先生達の気持ちに応えようと、ついモチベーションが上がって無茶振りしてしまうこともありますが(汗)、舞台では出演者全員が大切な人材。自分の身体を護っていくことも、舞台人にとって重要な義務なんです。それを、決して忘れてはなりません。

もうすぐGW。横着者で出不精の舞姫は、例によって取り立てて遠出の予定もないですが、GW中もしっかりコンディショニングに努めて、連休明けに再開される稽古に備えたいと思います。そんなわけで、写真はリンバリング中の舞姫の脚。片脚で立って、片手で脚を掴んで、もう片方の手で携帯電話を持って撮影するの、結構しんどかった…。(^^;)